会津若松へ…

雪のちらつく会津若松へ行ってみた。


早朝から人っ子一人いない飯盛山登山。

階段を上ったところになぜか戦前にイタリアから送られたポンペイ出土の宮殿か何かの柱が立っていた。

白虎隊の武士道精神に感動したムッソリーニが贈ったものらしい。ファシスト関係の文章も彫られていたらしいけど、大戦直後にGHQが削り取ったと解説に書いてあった。白虎隊の歴史を辿ってきたらムッソリーニにぶつかるとは歴史とは実に面白い。

白虎隊の若者が自刃した場所。早朝に一人でいるような場所ではないと思う。

飯森山を一通り散策した後は、鶴ヶ城へ。当然城は燃えていない。

城の中に入って、色々な展示を見る。戊辰戦争のときの展示が非常に多い。新政府軍のことを「西軍」と呼ぶらしい。なんとなく関ヶ原の戦いを思い出したけど、あのときは上杉家が西軍だったか。
それにしても、葦名→滅亡、伊達→会津没収・結構減封、上杉→会津没収・大幅減封、蒲生→後継者なく断絶、加藤→改易、松平→戊辰戦争で負けて下北半島へ、という歴史を見ると、ここの領主になった家は結構厳しい処分を受けることが多い。葦名はそれなりに長く繁栄したし、上杉・伊達・松平は明治時代にも爵位は維持してはいるから、悲惨というわけではないんだろうけど。

本丸内にある麟閣でお抹茶をいただく。その後は、近くのお店でソースかつ丼会津ラーメンを食し、別の喫茶店でお菓子をいただいてから御薬園へ。

雪の積もり方が中途半端でイマイチだったように思う。もっと本格的な冬に行くべきだったから。庭園内の建物でアフタヌーンティーをいただく。ここの展示は、松平家の女性が昭和天皇の弟のお妃になったことが中心だった。朝敵の汚名が雪がれたといわんばかりの当時の喜びようを見ると、戊辰戦争に対する恨みというか、怨念のようなものが感じられた。まあ、相当不本意だったんだと思う。降伏も握りつぶされてたとか書いてあったし。

そのあとは武家屋敷へ。ここも戊辰戦争に対する恨みが随所に垣間見える展示だった。

色々疲れたから東山温泉にゆっくり浸かって帰宅。